ついにバレました!

お疲れ様でございます、ケセラでございます。

前に投稿した、後輩ちゃんですがついにバレました。別に悪いことをしている訳ではないのでバレたというのもあれなんですけど。

最近、職場で後輩ちゃんに橘の何か新しい情報あると聞くのが日課になっています、その日もいつも通り何か情報ある?から始まり橘談義に華を咲かせているとケセラさん(職場では役職です)、私言いましたっけ? 私、へっ何を? どうやら前にyoshimituさんとこのブログを教えていたんですが、そこでぢぢブロというワードを発見しググッたところ避難所にたどり着いたらしいです。そして私が後輩ちゃんの事を書いた記事を読んで、何これ私?となり、極めつけは私がいつも冒頭での挨拶で使っているございますを見つけ職場での電話応対と同じだ、となり確信に至ったようです。

後輩ちゃんもブルーメに参戦予定でしたが中止になり、ぢぢブロ特派員デビューもお預けとなりましたが、今後とも後輩ちゃんをよろしくお願いします。

邂逅?

 無理矢理ですが、トップバッターのご指名頂きましたので、とほほ。
自己紹介かねてでよろしい様ですので簡単にw
ぢぢ様には、カナリの個人情報入れておりますけど、知っとるわい的なツッコミは無しで御願いしますね。
 H.N.「ともちち」と申します。
北部九州でシガナイ中小企業リーマンをやっております。甲斐性なしの共稼ぎ家庭持ち。故に、買出し&調理担当の二児の父をやってます。初期の投稿でディナーの準備で大変としたせいで、コックさんかと思われてましたが、違いますw

本題です…
橘吹部の沼にハマったのは、忘れもしない何時だったか…忘れかけてるやん。
確か113thの夏頃で、御多分に洩れずYouTubeのオススメ欄に突然出て来たのに釣られた…筈です。確かw
既に踊ってみたとか中・高生が踊りまくる動画も多くなっておりました時期。特にダンスには興味の無い人間でしたが、学生時代の友人がJazzバンドをやってたこともあり、オススメ動画をちょっとした好奇心でクリックしたわけです。嘘はつかないのがモットーですので、ミニスカ衣装の女子高生に惹かれたのを隠すつもりはございません!
ですが演奏曲目と激しく動くダンスに驚愕し、なんでこんな事が高校生に出来るのかが不思議でならず、動画や情報をネットで漁り始めたわけです。そこで…
表現に問題があれば申し訳ございません。
検索サジェストに「義足」の文字を見つけてしまいました…。
長い自分語りの導入ですw

わたくし、以前の仕事の一部で、特別支援学校(昔の養護学校)関連の設計をやっておりまして、障害を持つ子供達に関しては少々の勉強と経験をさせて頂いておりました。仕事内容に面倒な事が多く、他の設計者には敬遠されがちで、下っ端の私に御鉢が回って来たのがきっかけです。しかしながら、いろんな想いから熱心に取り組んでいた私のところに段々とその手の案件が多く来るようになり、営業マンからも指名で依頼が来るようにもなりました。関西や一部東海地方には、この仕事の都合で支援学校の訪問もしています。給食のカレー頂いた事もありますヨ。

先生方のご苦労、親御さんの愛情、何より生徒さん達の笑顔。ハンデがありながらも懸命に、学校を楽しんでます。
「コレは仕事としてやり甲斐あるぞ!少しでも快適に・負担を減らして・安心して使える物に仕上げなければ!」と。私もコレ天職かなと思い至るほどチカラ注ぎました!とはいえ予算も期限もあるので限界はありましたがwそれでも法律や悪しきお役所仕事の前例主義に対抗すべく日々悪戦苦闘の努力を致しておりました。(過去形)

10年以上昔ですので、既にその会社は無くなっておまして…私も職を現在の会社に移しているわけですが、ハンデに負けずに頑張る子供達には今でも思い入れが強いのです。
そんな私の目に入った文字。目にしていた橘動画の中で、そんな違和感を感じるような生徒さんはいませんでしたので、まさかと思って見直すと、確かに膝にサポーターが有るような無いような…

で、見つけました。
正直言って信じられませんでした。
そのくらい素敵な笑顔の演技でした。
どれだけの努力で、この笑顔と演奏・演技を…。そして、どのステージもパレードも楽しんでやってる様にしか見えない。これは、周りの生徒さん達も同じです。全員が輝きまくってます!
ここまで来るのに皆んなどれだけ努力してるの??障害なんか関係無く、普通にありえないよね?!体力的にも技術的にも!
私自身は楽器など一つも演奏出来ない門外漢ですが、もってる知識からは不可能としか考えられない!
演者の経験もありませんから更に分かりませんが、動画で見る本番の数々は、生徒さん達には楽しい以外の何物でもないという様に感じます。他所でやってる御涙頂戴の再現ドラマとかと全く違う!
はまったキッカケは彼女ですが、障害の有無など関係なく、これ程感動するステージを作り上げている全ての生徒さん達の努力の過程と成果に、どんどん引き込まれてしまったのです。

長くなりましたねw
こんだけ言うてて、一推しは別の生徒さんて言うのも何じゃそりゃですけど、
ぢぢブログにたどり着くのは まだまだ先の話なのです。
では以下次号に続かないwww

緊急告知

お疲れ様でございます。管理者を代表してケセラからお知らせがあります。

突然ではございますが、ただ今当避難所では投稿者を募集しております。本家や避難所で私ならピチピチのギャルが集まってくるような素晴らしい投稿が書けると思っていた自信満々のあなた、ぢぢぃ殿に投稿早よ、とか言っていじっていたそこのあなた、我こそはと思う方おりましたら問い合わせ欄からその旨をお知らせ願います。常連の方、ROM専のかたどなたでも大歓迎です。なお投稿していただいた方には謝礼としまして、ぢぢぃ殿と行くロシア領カニ漁体験ツアー(現地集合現地解散)の無料参加券を進呈いたします。皆さんのご応募お待ちしております。

継承

お疲れ様です。

AKD44withT、橘でいうところの84期生(当時は女子高だったので当然在籍はできなかった)ケセラでございます。

 さて、皆さんが橘ファンになったきっかけは様々だとは思います、そしてなぜ自分がこんなに橘が大好きになってしまったのか、以前ぢぢブロでも話題になったこともあったと思いますが、答えなんてわかりません。それにしても橘ファンてなんでこんなに年配者が多いのでしょうか、いや橘ファンと公言している人に年配者が多い、と表現した方が正しいのか。

 実は先日私の勤め先の後輩が何気ない会話の中で中学生の時に吹奏楽をやっていてトランペットを吹いていた、当時は結構ガチでやっていて高校進学の時に強豪校にいくのもありかな、と思ったが近所に無く、また進学した高校の吹奏楽部が人数も少なく弱小だったので入らなかった、とのことでした。そこで私が、京都橘って知ってる?と聞いたところ、知らないですと即答でした。やっぱりなと思いつつYoutubeに沢山動画が上がっているから見てみて、と言いその場は終わりました。

 そして後日、その後輩は動画見ました、凄いですね、マーチングだけでも大変なのにダンスを踊りながら演奏なんて私にはできません、と。さらにはトランペット経験者だけに113期マーコンでのレ〇ナのトランペットソロは音も綺麗で感動しました、と喰いついてきました。これは見込みあるなと思った私は大御所の動画や笑コラの動画を見るよう勧めたら、さらに喰いついてきてローズパレードの時のベネフィットコンサートも観ました、涙でてきました、ところでローズパレードのマルチタムの進行方向に向かって左側って何年生ですかね?(これはYoshimituさんが担当?)とか、カラーガードの人が可愛くって調べたら小麦さんて言うんですね(どうやらネットで検索したら某ブログにたどりついたらしい)とか。そしてこの避難所にたどり着かれたらどうしよう。それならそれで大歓迎、なんてったってその後輩は113期と同級生の22歳の女性ですから。ROM専は許しませんけどね(笑)

 

京都橘の歴史など

しばらく投稿がないので、間つなぎにちょっと固めですが新規記事を投稿させていただこうかと。今回は京都橘高校のユニークな伝統はどこから来ているのか、その歴史を見てみることでなにかヒントが得られないか調べてみました。

京都橘高校の紹介ページによると、京都橘高校は中森孟夫(なかもりたけお)により「京都女子手芸学校」として1902年に京都市内に設立されたものがもとになっているようです。その学校は、女性が経済的に自立(自営独立)することの重要性を認識し、「女子のための実業教育(技芸教育)の学校」として創立されたものだそうです。あの女子を中心とした高い演奏技術を見ると、もともと女子に技芸教育をするための学校であったからとすると納得できる気がしますが、中森孟夫自身はほかに簿記学校などを設立したり、のちにハワイにわたって日本人学校で教員をしたりしている人物で、特に女性自立のための実業教育に情熱を持っていたという人ではなさそうなので、なぜ1900年初めに京都に女子のための実業教育学校を作ったのか疑問もあります。

全く推測ではありますが、これはさかのぼること30年ほど前、京都に全国に先駆けて盛んに設立されたという女紅場の影響を受けたものではないかと思われます。何やら怪しい字面ですが、女紅場(にょこうば)とは明治初年に、女子に対して読み書き算盤や裁縫・手芸を授けた教育機関のことです。これは「京都女子手芸学校」のコンセプトとほぼ同一のもののようにも見えます。ほとんどの女紅場はおそらくは資金難などにより10年から20年の間にすたれていきますが、この伝統と需要を引き継いで「京都女子手芸学校」が設立されたものではないかと思われます。

さて、この「京都女子手芸学校」は実際はどのような学校であったのか気になって調べてみたところ、興味深い資料が見つかりました。リンク先は明治41年(1908年)の中等教育諸学校職員録ですが、これを見ると当時生徒数232人で結構な規模の学校であったことがわかります。何学年あったのかは不明ですが、7期生あたりに最大232人いたことになります。教えられている教科を見ると、刺繍や裁縫ばかりでなく、国語や英語、歴史や地理も教えられていることがわかります。創立者の中森自身も漢文、算術、代数、造花などを教えています。残念ながら音楽は教えられていないものの、手芸学校というよりは手芸も教える女子校という印象を受けます。

どんな教員が教えていたのかも気になったので調べてみたところちょっと驚きました。同時代の同姓同名の人が京都にいたのではないとすると、

  • 名誉校長に、京都帝国大学工学部初代教授の 大塚要(おおつかかなめ)
  • 校長兼理事に、自らも武道者で武道者の総本山ともいえる大日本武徳会を創立した鳥海弘毅(とりのうみひろき)
  • 理事に、「日本外史」で名高い頼山陽の孫で漢学者の頼龍三(らいりゅうぞう)。
  • 教授兼教務に、のちに文学博士にして京都帝国大学教授、第12代京都帝国大学総長となる歴史学者 羽田亨(はねだとおる)。当時京都帝国大学大学院生。
  • 教授兼庶務に、のちに京都市立第一商業校長をへて長崎大学の教授となる歴史学者川島元次郎(かわしまもとじろう)。当時京都帝国大学学生。

などそうそうたるメンバーが教員陣にいたようです。幹部に有名人をそろえ教員陣に有望かつ有能なイケメン(かもしれない)若手研究者をあつめた、あこがれのセレブな学校であったのかもしれません。

こののち、「京都女子手芸学校」は1931年に政府より職業学校の許可を受け、第二次大戦後の1947年に新制高等学校の「京都手芸女子高等学校」となるのですが、1957年校名を「京都橘女子高等学校」に変更します。

これは、上記の地図の通り、当時「京都手芸女子高等学校」が京都御苑の西、すなわち右側に位置したことから、御所の紫宸殿前に植えられた「左近の桜、右近の橘」にちなんで「橘」の文字をつけるのがふさわしいとしたからのようです。西側なら地図で見ると京都御所の左側じゃないかと思う人もいるかもしれませんが、昔の中国の「天子は南面す」にならって京都では天皇が南を向いて政治を執るのが伝統とされるので、西の方は天皇から見て右側になるということのようです。ちなみにこの「橘」の発案は当時の校長の恩師で「広辞苑」の編者であった新村出氏によるものだそうです。なお、この場所には現在京都ブライトンホテルがあり、ホテルの北側に京都女子手芸学校跡を示す碑があるそうです。

上記は昨年末に上賀茂神社で撮ったたものですが、橘は日本固有の柑橘樹で昔から繁栄や長寿の象徴として尊ばれ、邪気をはらうとされたことも校名にふさわしいと考えられたのでしょう。橘のイベントはコロナの影響で次々と中止や無観客となっていますが、せめて過去のYoutube動画でも見て邪気を払いましょう。

転・~祈り~

”謹んで新春のお慶びを申し上げます”

みなさん、こんにちは。

AKD44withT・・・やる気スイッチOFF状態(←三が日、ヒートテックのみでゴロゴロw)しかーしこれだけはと、なんとかパソコンに向かって試行錯誤しながらコメント頑張ってる?

ザウルス三姉妹養育資金調達係の福山テツです♨

 

詳しくは後々説明していきますが、手っ取り早く言うと”ココは行き場を無くしたぢぢブロコメント主さん達の集会所”みたいなところです。

ぢぢい殿が現在ぼったくり商事再建の為、カムチャッカ半島付近で蟹漁に勤しんでる間(←現地からの未確認情報では春ぐらいに帰ってくるそーですw)、

「行くとこないなー」「他のとこは・・・」とかいろいろな思いでいるぢぢブロコメント主さん達が「しゃーないな」「ここで暇つぶししとこかー」みたいな感じで集えればと思っています。

かくいう自分も超ウルトラスペシャル一級市民で、あんまり暇が無いので(←注:気まぐれと読みます)不定期ですがコメントして行こうかなと・・・。

 

去年の豊岡終わりにみんなで飲んだ時に、「このままバラバラになるのいやや」とみんなで相談してたらさっそく”イケさん”がつくってくれました。

ほんで共同管理でということで”イケさん・アナぴょん・ケセラさん・福山”で管理していきます(←でも管理者画面難しいんですよ(泣)慣れるまで勘弁してね)。

基本はぢぢブロと一緒・・・なんでもこいですが、へんなコメントはやめてね・やめてね・やめてね(←ってダチョウ俱楽部かw)。

ぢぢい殿よりキツイとことか緩いとこがあるかもです。なぜならぢぢい殿の前では「猫300匹ぐらいかぶってたから」かなw。

ということでみなさん、今年もよろしくお願いします。

追伸:今回避難所を作成?するにあたり”ぢぢい殿にご報告・お許しは頂いております”。 ぢぢい殿みてますか?蟹漁はどーですか?大漁のご報告おまちしておりますw(←ネット環境あるかな?ロシア領・・・しかもカムチャッカw)