私は一度も現地で見たことはないのですが、上の動画は京都福知山の大江山酒呑童子祭りでの京都橘のマーチングです。橘はここ数年不参加で、またコロナ禍でお祭り自体中止になったりしていますが、ここではマーチングドリルもパレードもあり、広い会場で思う存分パフォーマンスをしていて、観客エリアもゆったりしているので、またこういう公演を開催してほしいものです。特にこの動画の年はマーコン全国金賞の時のメンバーやローズパレード参加者が中心で、技術的にも優れていて、エネルギーに満ち溢れた素晴らしいパフォーマンスだと思います。
さて、この酒呑童子祭り、何を記念して開催されているのかご存じでしょうか。夏向きに、酒呑童子とそれにまつわる京都の怪異の話を少しさせていただきます。
今からおよそ1000年前、一条天皇の時代、京の貴族の子女が神隠しに遭うという事件が頻発します。これを陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)に占わせたところ、大江山に住む鬼である酒呑童子の一味の仕業と判明します。そこで天皇は勇猛な武士の源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)とその配下の四天王、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)らに命じて征伐に向かわせます。ちなみにこの金時は子供のころ足柄山でクマと相撲をとっていたという金太郎です。大江山にやってきた頼光らは、旅のものだと偽って一夜の宿を頼んで酒呑童子の本拠に入り込むことに成功します。その夜、頼光らを信用した鬼たちが宴会を開いてくれたので、あらかじめ用意してきた鬼の神通力を封じる酒を鬼たちに飲ませ、酔った酒呑童子が寝ているところを襲って首をはねてしまいます。これが大江山に伝わる酒呑童子伝説の概要です。なんだか武士にしてはずいぶん卑怯なやり口のようですが当時としては普通だったのでしょうか。
この時酒呑童子の首をはねた刀は童子切(どうじぎり)と名付けられ、それはのちに足利将軍家の手に渡り、その後豊臣秀吉の手を経て徳川家に伝わり、現在では上野の東京国立博物館が所蔵しています。これが天下五剣の一つ、国宝 童子切安綱です。
実在がほぼ確実な人物に係る伝説で、事件で使用された凶器も現存しているとなると、この伝説にも幾分かの事実が含まれているのではないかと考られなかなか興味深いです。
さて、この話には後日譚もあります。
酒呑童子の首がはねられたのを見た酒呑童子の一の子分茨木童子はこれはかなわないとみて逃げ出して、ただ一人大江山脱出に成功します。一方、酒呑童子退治に成功した頼光一行は京に帰りますが、ある日、四天王筆頭の渡辺綱が、京の一条戻橋(いちじょうもどりばし:一条通と堀川通の交差点にある堀川に架かる橋。何度も架け替えられているが現存している)を渡っていたところ、若い女性が泣いているのを見かけどうしたのか声を掛けます。この女性は大江山から逃げ出した茨木童子だったので、突然鬼に変身し綱をつかんで飛び上がって愛宕山のほうへ飛んでいきますが、綱は北野天満宮の上空あたりで頼光から借りていた刀でつかまれた鬼の腕を切り落とし、脱出に成功します。生還した綱が切り取った鬼の腕を安倍晴明に見せてどうしたものかと相談すると、「必ず鬼が腕を取り返しにやって来るから、七日の間家に閉じこもり、誰も家に入れないように」という今でいう自粛してステイホームをしろとアドバイスをうけます。綱はそれを実行するのですが、7日目の晩に巧妙に変装した茨木童子に侵入され、結局腕は取り戻されてしまいます。
自粛とステイホームでは疫病は阻止できないことを暗示しているようで何やら興味深い話ですが、それはともかくこの鬼の腕を切った刀も実在していて、現在はゆかりのある北野天満宮に収められています。この刀は今年の夏、北野天満宮で特別公開されているので、先日ちょっと見に行ってみました。これが重要文化財の鬼切丸 別名 髭切です。
御覧の通り、とても1000年以上前に作られた刀には見えず、美しくも妖しい輝きを放っています。今すぐにでも鬼の腕を切ったり、マグロの解体をしたりできそうな切れ味に見えます。この鬼切丸は9月30日まで京都北野天満宮で公開しているので、興味のある方は行ってみてください。あと、同じく源頼光が土蜘蛛の妖怪を倒したときに使ったという膝丸という兄弟刀も京都大覚寺にて同時期に公開されていますのでそちらもどうぞ。
ちなみにこの特別公開に来ていたのは歴女というのかほとんどが若い女性でした。橘やO-vilsの公演には中高年男性が群がり、伝説の刀や武具の展示には若い女性が集まるというのは京の怪異の一つかもしれません。
あと、安倍晴明や一条戻橋にまつわる怪奇譚も書こうかと思ったのですが、長くなってきたのでこの辺でやめときます。次回に続くかも。