OrangeBookなど

醍醐寺の桜 2022/03/26

今回はさくらパレードの続きを書こうと思っていたのですが、今年は中止になってしまい、しかもちょっと時季外れになってしまったので、また来年のさくらパレードのころの季節のネタに回そうと思います。

代わりといっては何ですが、さくらパレードが開催される時期の一週間後あたりの醍醐寺の桜の写真を上げておきます。このお寺は京都橘の地元近く京都市伏見区にあり、豊臣秀吉が醍醐の花見という盛大な花見をやったことで有名で、その時の秀吉の書状も残っていたり、今もなお立派な桜の木が植わっていたりしてなかなか興味深いところです。

さて、ちょっと話は変わって、先日の定期演奏会の時JRさんとお話ししていたところ、JRさん作のOrangeBookをこのじじブロ避難所にのせたらどうかという話が出ました。ということで先日、OrangeBookのWord版をLineで送ってもらい、WordPressで何とか見えるように編集してみました。京都橘高校吹奏楽部の演奏曲パレード演奏曲というページにその初めの部分だけ載せてみましたので感想などをいただけると幸い。ページ上部のメニューのOrangeBookのところからも見ることができます。

ところで、JRさんこんな感じでいいんですかね。というかアカウント作りますのでJRさん自ら作っていただけたら嬉しいのですが。

上記は2019年のブルーメの丘パレードですが、今週末4/29は2022年のブルーメの丘パレードですね。昨年はコロナでスケジュールがずれていたので、この間終わったとおもったらまた次の回が来たという感じです。私は今年も参戦予定ですので、現地で見る方々、今年もどうぞよろしく。

あと、5/8はブラスエキスポ2022のようで、特に問題なければこういうイベントスケジュールを周知するため、OrangeBookとあわせてイベント予定表みたいなページを作ろうかと思っています。何かご意見があればコメントにてよろしくお願いします。

 

さくらパレード 前編

まだちょっと早いかもですが、京都の春の祭典、さくらパレードが近づいてきました。これは開催されれば、まず京都橘は出演するし、屋外イベントで無料なのでチケットを予約する必要もなく、ドリルやパレードを割と近い距離で見ることができますので、京都橘をまだ生で見たことのない人が、初めて見てみるのにはちょうどいいんじゃないかと思います。最近は少し混雑するのが難点ではありますが。

上記の動画は私が初めて京都橘を生で見た時のさくらパレードの交歓コンサートで、私はこの右奥の方で見ていたのですが、思った以上に動きがダイナミックで音にも迫力があって圧倒されました。動画にも映っていますが、ジャンピングハイタッチにはびっくりしました。

さくらパレードでは交歓コンサートとパレードがあって、どちらも京都市内中心部で行われます。この辺りには名所・旧跡も多く、時期も桜が咲き始めるころのいい季節で、これを見たついでに京都観光をするのもいいのではと思います。ということで、この周辺のちょっとした紹介をします。

まず、交歓コンサートが行われる御池中学校ですが、ここはただの中学校ではありません。ここはもと上京第27番組小学校、のちの柳池校といって京都が全国に先駆けて日本で最初に作った小学校だったものです。裏手に回ると"日本最初小学校 柳池校"という石碑があります。日本最初の小学生がこの辺りで勉強していたと思うとちょっと感慨深いのではないでしょうか。

柳池校跡石碑

さて、さくらパレードのパレードはまずこの御池中学校をスタートして、御池通を東進します。この御池通はただの通りですが、平安京の時代、およそ1200年前からある通りでもあります。平安時代は三条坊門小路という狭い通りで、今のように片側四車線の広い通りになったのは、第二次世界大戦で周辺家屋が疎開させられ、戦後の整備でこの道を広くしたからのようです。

この御池通、なぜ御池通と呼ばれるようになったかというと、この通りが二条城付近にある神泉苑という庭園の池の前を通っていることで、江戸時代あたりからそう呼ばれるようになったそうです。この神泉苑は平安京ができた時から存在し様々な伝説がある禁苑で、だいぶ狭くなったようですが現在も存続しています。有名な伝説ではここで東寺の空海と西寺の守敏という僧が雨乞い勝負をして、空海がインドから竜神を呼んできて京都に雨を降らせて勝利し、そのこともあってか西寺はその後衰退して滅びたという話があります。以降雨乞い場所として有名になり、元祖しずちゃんの静御前もここで雨乞いをしていた時に近くで見ていた源義経に見初められてその側室になったという話もあります。また、ここは嵯峨天皇が初めて桜の花見をしたところでもあり、日本の花見の発祥地ともいわれますので、さくらパレードの後で花見がてら行ってみるのもいいんじゃないでしょうか。

神泉苑

さて、パレードは御池通りを進み寺町通との交差点で右折し寺町通を南下します。この寺町通も平安京ができたころからある通りですが、当時は東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)と言って平安京の東の端の通りでした。現在はこの通りは京都御所のすぐ東を通り京都の中心街に近いですが、これは京都御所や市街地の方が平安京の時代から東の方に移動してきたためです。この通りが寺町通と呼ばれるようになったのは、豊臣秀吉が京都の整備をしたときに、京都に散在する寺院を集めてこの通りの東側に移転させたことによるもので、そんなことからこの通り沿いはたくさんの寺院があります。

寺町 本能寺

パレードに従って寺町通に入ると、すぐ左手に本能寺というお寺があります。これはかの本能寺の変で明智光秀が織田信長を襲ったところの本能寺ですが、この本能寺は秀吉が本能寺の変の後にここに移築させたものであり、当時はここから西南西約1kmほどのところにありました。境内に入ると本堂の裏手あたりに信長公のお墓があります。ここで、かの戦国のスーパースター織田信長をしのんで手を合わせるのもいいかもしれません。ただ、信長公のお墓はほかにもたくさんあり、京都市内だけでも大雲院、妙心寺玉鳳院など数か所ありますが、中でも最も立派なのは秀吉が作らせた大徳寺総見院のものではないでしょうか。ここには信長公の木像も安置してあり、通常は非公開ですがたまに特別公開していますので、時期が合えば一度行ってみるといいでしょう。あと、寺町通り沿い京都御所のやや北に阿弥陀寺というお寺がありますが、ここにも信長公のお墓があり、これはここの当時の住職が本能寺の変の直後に本能寺に行って信長公やその家来たちの遺灰を拾って持ち帰りそれを弔ったものだとされています。本当かどうかわかりませんが、そうだとするとここが本当の信長公のお墓なのかもしれません。ここはだれでもはいれるお寺で私も数年前に行ってみたのですが、写真を撮り忘れてしまいました。

ところでこの本能寺、実際には本寺というちょっと変わった文字が使われています。これは本能寺が本能寺の変を含め、たびたび火災にあったため、ヒ(火)が去るようにとこういう文字を作ってあてはめたのだという説があり、本能寺のホームページにもそう書いてあります。話としては面白いですが、これはどうもデマらしく、実際はの字が刻まれた屋根瓦が本能寺の変以前の本能寺跡から出土していて、当時はこっちのの方が広く使われていて能の方こそ最近使われだした字だということのようです。

とかなんとか書いていたら、長くなってきたので次回に続くということで…

We Are O-VILS Vol.1 ライブレポート

去る12月4日土曜、京都テルサホールにて行われたWe Are O-VILS Vol.1ライブにこっそりと行ってきましたので、少しそのレポートをいたします。(出演者の敬称を略します)

上の画像は開演約40分くらい前の京都テルサホールの外観で、なんだかひっそりとしているのでもしかして観客がすごく少ないのかと思ってやや緊張しながら会場に向かいました。内部の撮影は禁止されていたので会場内部の画像はありませんが、入場してみると感染対策で席は間引きしてあるものの、キャパ最大800人程度の会場で一席置きの配置で約400名ほどが入っていて、けっこう盛況でした。外観がひっそりしていたのは、今回は入場手続きがスムーズで全員が速やかに会場に入場できていたからのようです。客層は相変わらず中高年男性が多めですが、以前よりは若い男性、若い女性の客がふえてきているように見えました。

さてほぼ定刻通りに橘テンションから始まったステージですが、今回はゆいなの叩くドラムに合わせてメンバー紹介からのスタートでした。今回の目玉はライちゃのショルダーキーボードでの参加でしょうか。ライちゃはやや緊張気味のようにも見えましたが、ちゃんとステップを踏んで楽しそうに演奏していました。ただ電子楽器に慣れていないのか、自分の音がよく聞き取れていないようでややぎこちないところも見えました。パーカスはこの二人に加えてちっぴのみで、ちっぴはいつも通りパワー全開で満面の笑顔で演奏・ダンスをしていましたが、るいやこまれは土曜の部は休場だったようでちょっと残念。あとサックスはみどりをはじめとしてバリトンからテナー、アルト、ソプラノまでそろえた5人でけっこう充実しています。またカラーガードもあやか、まふらん、みつきなど5人に増えていて、ダンスもキレを増していて迫力十分でした。ちょっと気になったのはクラリネットのゆいの欠場で、日曜の部にも出なかったようなので辞めてしまったのかもしれません。あとはトランペットが二人でトロンボーンが一人で、日曜の部ではこれにそれぞれもう一人づつ増えるようで、金管楽器も厚みを増してきた感じです。

演奏した曲としては、Fire ball, TRIESTEZA, You can’t stop the beat, Sing Sins Singなど、橘114-116期で良くやっていた曲に加えて、Uptown Funk, Livin’ la Vida Loca, Isn't she lovely, 渚のシンドバッド, Jump in the lineなどたぶんO-vilsで初めて演奏する曲なども増えてきていました。個人的にはやっぱり一番まとまっていて迫力があったのはSing Sing Singですが、Livin’ la Vida Locaはノリもよくよかったですね。郷ひろみが歌っていたもののイメージが強いですがそれよりはよかったような。あと、渚のシンドバッドよりは勝手にシンドバッドの方をやってほしかったかな。White ChristmasやAmaging Graceなどスローな曲も演奏していましたが、バンドとしての演奏ではなく一部の楽器のみの演奏でした。バンドとしてスローな曲も演奏できるようになればいいんじゃないかと思われました。

総じてなかなか良い出来だったと思いますが、私が感じた問題点としては、まず力のあるパーカッション奏者が何人もいるのにそれを生かしきれてないように思えました。ゆいなだけではなく、ちっぴやこまれやるいやライちゃのドラムも聞いてみたいし、打楽器がもっとあってもいいようにも思えます。あとはやはり踊らないギターとベースはちょっと違和感を感じます。踊らないエレキギターは、特に演奏の邪魔をしているというわけではないですが、音的にもリズム的にもビジュアル的にも必要がないように思えます。ベースに関してはスーザの音をかき消してしまっているのと、踊らないところが気になります。ゆるモワ!かるいがベースに回って踊るベーシストになるとか、踊るスーザを増やして踊らないベースをなくすといいんじゃないかなどと妄想してしまいます。

とこんなところで。今週末は京都検定の試験があり準備に忙しいのでちょっと早めに投稿します。次はケセラさんよろしく。

マーチング・カーニバル in 別府

去る10/30-10/31に開催されたマーチング・カーニバル in 別府2021に出かけてきましたので、その感想などを。

まずここ四国松山から別府に行くのに、なんとなく直行便の飛行機で近くの空港まで行ってそこからバスかなと考えて、福岡空港経由で高速バスで別府まで行ったのですが、これが便数も少なく結構時間も費用もかかります。後で調べると、実は松山から札幌に行くより時間も費用もかかっていることがわかって愕然としました。よく調べたら、八幡浜から別府への直行フェリーを使うと、時間は飛行機・バス便とほとんど変わらず便数も多く半額以下で行けたことがわかってさらにショックです。そんな海峡を挟んで隣の県なのに、実質ロシア領より遠い別府ですが、その昔は船で何度か行ったことがあって、温泉が多い観光地だということは知っていました。鉄輪(かんなわ)温泉の地獄めぐりなどは、周辺県の人ならたぶんみんな一度は行ったことがあると思います。

さて高速バスは別府北浜バスターミナルに到着するのですが、そこの周辺は温泉付きホテルが多いし、マーチング・カーニバル会場のビーコンプラザまで、2km弱なので散歩がてら歩いて行ってもいいかと思って、別府北浜に宿をとったのですが、これも失敗でした。実は別府北浜からビーコンプラザにかけてはちょっとした上り坂になっていて、下見や荷物の預かりなどで何度も往復するのは結構ハードです。皆様、来年もあればその時は別府駅近のホテルを利用することをお勧めします。

イベントスケジュールは
10/30 19:00 京都橘 MARCHING NIGHT
10/31 11:00 オープニングパレード
10/31 13:00 マーチング・カーニバル
となっているので、10/30 17:30くらいに会場へ向かって宿を出ます。会場までの上り坂は大変ですが、近くまで行けばグローバルタワーという長女ザウルスさんものぼった塔が目印になるので、迷うことはありません。ちなみに別府民は高いところが好きなのか、別府タワーという札幌テレビ塔や東京タワーと同時期に作られた高さ100mくらいの塔も別府北浜にあり、塔は古びているものの登れば眺めはよいそうです。

さて会場であるビーコンプラザで、ぢぢブロメンバーと出会い、京都橘MARCHING NIGHTを鑑賞することになるのですが、多分2,500人くらいの人が詰めかけていて、スタッフが慣れていないのか入場券のもぎりに手間取り大行列ができてしまっていたのはご愛敬でした。京都橘MARCHING NIGHTは前半のコンサートステージと後半のマーチングステージの2部構成になっていて、前半はクラシック系のちょっと難解な曲、後半は竜とそばかすの姫の曲も含めたポピュラーな曲でした。音はきれいでしたが、コンサート用のホールではないのか反響がおおきくちょっと聞きづらいところもありました。全体的に兼城先生の影響かおとなしめな曲が多かったですが、最後のSingはいつもの京都橘でパワーあふれるものでした。詳細な解説は最前列のかぶりつきで見ていたケセラさんにお譲りします。

それから久しぶりのぢぢブロ飲み会ですが、今回はいつもの関東、東海、四国勢に加えて九州勢の軍人と変人?が参加でにぎやかなものになりました。飲み会はぢぢブロメンバーならだれでも参加可能ですが、皆さんほとんどザルのように底なしに飲むので、今後初参加する方はご注意を。ただ特に酒乱の気のある人はなく楽しい酒ですのでご安心を。

さて、翌日10/31 11:00からは、グローバルタワー前から参加各団体のオープニングパレードです。京都橘は大トリでしたが、このパレードはこれぞ京都橘といえる素晴らしい出来でした。選曲も面白いし、楽器の音色もいいし、振り付けも今までにも増して複雑で華麗なもので見ていて楽しめました。

また今回の初めての試みだと思いますがハロウィーンということで、ほとんどのメンバーがやや控えめな仮装をしていて面白かったです。悪魔の角やしっぽ、魔女の帽子、ケモミミが多かったですが、幾人かのスーザやトランペットのメンバーはたぶん伏見稲荷のキツネのお面をつけていて、さりげなく京都伏見をアピールしているようでほほえましかったです。カラーガードのケモミミはたぶん頭の上で振り回す旗に当たらないように寝た耳をつけて工夫していたようですが、それでも途中で耳に旗を当てて飛ばしている娘がいて笑ってしまいました。

今回の新曲はHand clap, This is Halloween, Bluesky carnivalだと思います。これらは曲もいいですが振り付けが斬新で面白かったです。ブルーメの丘でパレードを見ていた時に、演奏中にみんながいきなりゾンビウォークを始めたので、ぎょっとしてこの人たちはいったい何を始めたのかと思いましたが、このハロウィーンのパレードのための仕込みだったとは。Bluesky carnivalもアップテンポな楽しい曲ですが、これをバリトンサックスやバスクラを吹くプレーヤーを含めてジャンプを加えたダンスをしながら、行進と演奏をするというのはもう京都橘にしかできないでしょう。あと、スネアの一人は重いスネアをふりまわしてダンスしながら、アゴゴベルでサンバっぽい難しそうなリズムを正確かつ高速にたたいていましたが、吹奏楽のパーカッションってあんなことが普通にできるものなのでしょうか。

ちょっと気になったのはマルチタムのプレーヤーがステップをあまり踏んでなく元気がなかったようにみえたことくらいでしょうか。どこか故障中なのでしょうか。もしそうならマーコンまでに治るといいのですが。あと、ホルン隊の音がちょっと不安定に聞こえたのですが皆さんはどう感じたでしょうか。

私は旅程の計画不備でこれ以上いたら飛行機の最終便に間に合わなくなるので、オープニングパレードの途中で別府を離れてそれ以降の演技を見ることができませんでした。その後のマーチング・カーニバルでの演技についてはもしかしたらだれか他の方がレポートしてくれるかも。

ということで、長くなりましたが、次はケセラさんお願いします。

パーカッション・パート

上記動画は2017年のさくらパレードの京都市役所での交歓コンサートを後ろから撮影したものですが、普段は前で演奏しているプレーヤーの影でよく見えないパーカッションパートのパフォーマンスをはっきりと見ることができます。

御覧の通り、正確で力強いリズムを体全体でたたき出していて、これを笑顔いっぱいで演奏するところが魅力的です。これだけの技術を持ちながら、各人の担当パートはたいてい複数の楽器にわたっていて、誰かが所用や体調不良で出演できないときがあっても、ほかのだれかがカバーできるようになっているところも素晴らしいと思います。私もそうですが、このような京都橘のパーカッションチームのファンの方も多いのではないでしょうか。

さて、ここのところO-vilsファンクラブで、パーカッションパートだったメンバーたちが、なぜ京都橘でパーカッションチームに入ったかなどを語っていたのが興味深かったので少し紹介します。

まず、こまれさんは、最初はクラリネットを志望していたそうで、入部前にクラリネットを相当練習してかなり吹けるようになったのですが、入部前面接で先輩の前でクラリネットを吹いてみたところ、その時だけあまりうまく吹けなくてがっかりだったそうです。ただそのあとで、パーカッションを演奏してみたら、非常にうまく演奏できたのでパーカッションパートをやることになったということです。

小さいころからドラムをやっていた三田さんも、橘ではクラリネット志望で、実際一年の最初のころはクラリネットを吹いていたそうです。しかし、ある大会でパーカッションの人数が足りないのでチームに入ってくれと頼まれたので、その大会だけということでパーカッションチームに入ったのですが、なぜか抜け出せなくなったそうです。

ちっぴさんも実は木管楽器か金管楽器をやってみたくて、入部前に結構練習したらしいのですが、入部前面接で、まずパーカッションを演奏してみたところ、非常にうまく演奏できたのでもう君はパーカッションで決まりということで、練習してきた楽器は吹かせてももらえなかったと笑っていました。

ルイさんは最初からパーカッションパート希望だったそうですがその経緯がちょっと意外でした。ルイさんは中学三年の時に橘吹部に入るつもりで、定期演奏会を見に行ったのですが、その会場前でチケットを忘れていたことに気づいたそうで、泣きながらチケットを取りに帰って再度会場まできたところ、もうSingが始まっていた時で会場に入場もできなかったそうです。それでも少しでも近くで演奏を聴いといたろと思って、1,2年生が3年生の見送り演奏をしているところに近づいて演奏を聴いていたのですが、そこがバスドラムの近くで、その先輩のバスドラの演奏がものすごくかっこよかったので、橘ではバスドラをやると決意したそうです。入部の時に先輩にバスドラ志望ですと言ったら、今までそんなことを言ってきた人はいなかったといって驚愕されたとか。

みなさん、ほぼ偶然のような形で橘のパーカッションパートに入ったようですが、パーカッションが好きだったので必然的にそのパートを続けたというところでしょうか。来週10月3日にブルーメの丘のパレードがあるはずなので、今年の橘のパーカッションパートはどんな様子か見に行ってみる予定です。

ブルーメの丘とワクチン

今週末は本当は京都でO-vilsの公演のを見てるはずだったのですが、延期になってしまいましたので急遽これも延期になっているブルーメの丘の橘のパレードについて書きたいと思います。

ブルーメの丘は駅からちょっと遠くて交通アクセスが悪いのですが、公園は広大でしかも橘単独のイベントなので、ほかのイベントに比べると余裕をもって近くから演奏を鑑賞できるものになっていると思います。上記動画は2019年4月のパレードで、私が最初にブルーメの丘に行って橘を見た時のものですが、実際現地に行って近い距離感でみると、音が動画より段違いに迫力を増して聞こえます。パーカッションの音なんかは動画だとポコポコと鳴っているだけのようですが、実際はもっと腹に響くように力強いです。プレーヤーの方も近くで観客の反応があると、ステージでやるときより楽しそうに演奏しているように見えます。実際この時のP隊長なんかは実に楽しそうにダイナミックに演奏していました。

昨年はコロナ騒ぎでこのイベントは中止になり、今年は4月にやるはずだったものが10月に延期になっていますが、もし開催できることになったら、北海道の某Jさんや九州の某Tさんなどまだ現地で橘を見たことがない方は、ぜひブルーメの丘に結集すべきかと考えます。

さて開催されるかどうかは、現在関西地方一帯に出ている緊急事態宣言が解除され、その後また蔓延するのを抑え込めるかどうかにかかっていると思います。緊急事態宣言解除はひたすら密を避け外出や移動を自粛し、こまめに消毒するなどしかないように思われますが、解除後に通常の生活を取り戻して再蔓延を防ぐにはワクチン接種を広めることが重要なのではないかと思います。

ただネット上にはワクチン接種を否定するようなデマやデマでないまでも不当にワクチンの危険をあおるような情報が飛び交っていて、なんとも腹立たしい限りです。

例えばmRNAワクチン開発元のファイザー社のCEOが"私はそれほど高齢じゃないし、健康だからワクチンは打ってない"と言った。というような情報が流れています。こういうことを聞くとじゃあ自分も打たなくてもいいかもと考えるかもしれませんが、これはデマというか情報の歪曲です。ファイザー社のCEOがそういうことを言ったというのは事実なのですが、これには話の続きがあり、そのあと”でも、自分が打てる番になったらすぐ打つよ。”と言っていて、実際しばらくしてワクチンを接種しています。つまり、彼の住む地域では高齢者と基礎疾患持ちの人に優先接種していて、これは彼の番が回ってきていなかったときのインタビューの前半だけを切り取っているものなのです。

また、mRNAワクチンは治験が終わっていないので、治験中のワクチンを接種するのは問題だし危険だ。などという話も流れています。これもほとんどデマで、実際にはワクチンの安全性と有効性を確かめる第三層治験は終わっていて安全性と有効性が確認されワクチンの使用は承認されています。現在行われているとされる治験というのは、より長期の持続性などを確認するためデータを取り続けているというだけのことです。

さらに、mRNAワクチンは長期的安全性が全く分かっていないので危険である。などというような噂も流れています。mRNAワクチンが使用されはじめてからまだ一年と少しなので、確かに実験的な長期的データはないのですが、安全性が全くわからないなどというのはデマです。実際は、mRNAは接種後数日以内に分解されることから、長期的に何か悪影響が出ることはほとんど考えられず、開発元の米国でも長期的な副反応はほとんどありえないとされています。

ちなみに、私の勤務先は高齢者施設なのでワクチンの優先接種が受けられて6月末までに私自身も含めて従業員30名ほどの9割くらいの人がすでにファイザーのワクチン2回接種済みです。そのうち3割くらいの人に特に2回目接種後に発熱や頭痛などの副反応がありましたが、すべての人が2日以内に回復しました。そして、幸いまだだれもコロナに感染していませんし、もちろん接種直後の副反応以外でワクチンによって体調を崩した人もいません。

ということで、ワクチンは少なくとも私の知る限りでは安全で有効ですので、打てる人はワクチンを接種して、10月にブルーメの丘に集合しましょう。

大江山と京の怪異

私は一度も現地で見たことはないのですが、上の動画は京都福知山の大江山酒呑童子祭りでの京都橘のマーチングです。橘はここ数年不参加で、またコロナ禍でお祭り自体中止になったりしていますが、ここではマーチングドリルもパレードもあり、広い会場で思う存分パフォーマンスをしていて、観客エリアもゆったりしているので、またこういう公演を開催してほしいものです。特にこの動画の年はマーコン全国金賞の時のメンバーやローズパレード参加者が中心で、技術的にも優れていて、エネルギーに満ち溢れた素晴らしいパフォーマンスだと思います。

さて、この酒呑童子祭り、何を記念して開催されているのかご存じでしょうか。夏向きに、酒呑童子とそれにまつわる京都の怪異の話を少しさせていただきます。

今からおよそ1000年前、一条天皇の時代、京の貴族の子女が神隠しに遭うという事件が頻発します。これを陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)に占わせたところ、大江山に住む鬼である酒呑童子の一味の仕業と判明します。そこで天皇は勇猛な武士の源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)とその配下の四天王、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)らに命じて征伐に向かわせます。ちなみにこの金時は子供のころ足柄山でクマと相撲をとっていたという金太郎です。大江山にやってきた頼光らは、旅のものだと偽って一夜の宿を頼んで酒呑童子の本拠に入り込むことに成功します。その夜、頼光らを信用した鬼たちが宴会を開いてくれたので、あらかじめ用意してきた鬼の神通力を封じる酒を鬼たちに飲ませ、酔った酒呑童子が寝ているところを襲って首をはねてしまいます。これが大江山に伝わる酒呑童子伝説の概要です。なんだか武士にしてはずいぶん卑怯なやり口のようですが当時としては普通だったのでしょうか。

この時酒呑童子の首をはねた刀は童子切(どうじぎり)と名付けられ、それはのちに足利将軍家の手に渡り、その後豊臣秀吉の手を経て徳川家に伝わり、現在では上野の東京国立博物館が所蔵しています。これが天下五剣の一つ、国宝 童子切安綱です。

国宝 童子切安綱 Wikipediaより

実在がほぼ確実な人物に係る伝説で、事件で使用された凶器も現存しているとなると、この伝説にも幾分かの事実が含まれているのではないかと考られなかなか興味深いです。

さて、この話には後日譚もあります。

酒呑童子の首がはねられたのを見た酒呑童子の一の子分茨木童子はこれはかなわないとみて逃げ出して、ただ一人大江山脱出に成功します。一方、酒呑童子退治に成功した頼光一行は京に帰りますが、ある日、四天王筆頭の渡辺綱が、京の一条戻橋(いちじょうもどりばし:一条通と堀川通の交差点にある堀川に架かる橋。何度も架け替えられているが現存している)を渡っていたところ、若い女性が泣いているのを見かけどうしたのか声を掛けます。この女性は大江山から逃げ出した茨木童子だったので、突然鬼に変身し綱をつかんで飛び上がって愛宕山のほうへ飛んでいきますが、綱は北野天満宮の上空あたりで頼光から借りていた刀でつかまれた鬼の腕を切り落とし、脱出に成功します。生還した綱が切り取った鬼の腕を安倍晴明に見せてどうしたものかと相談すると、「必ず鬼が腕を取り返しにやって来るから、七日の間家に閉じこもり、誰も家に入れないように」という今でいう自粛してステイホームをしろとアドバイスをうけます。綱はそれを実行するのですが、7日目の晩に巧妙に変装した茨木童子に侵入され、結局腕は取り戻されてしまいます。

自粛とステイホームでは疫病は阻止できないことを暗示しているようで何やら興味深い話ですが、それはともかくこの鬼の腕を切った刀も実在していて、現在はゆかりのある北野天満宮に収められています。この刀は今年の夏、北野天満宮で特別公開されているので、先日ちょっと見に行ってみました。これが重要文化財の鬼切丸 別名 髭切です。

重要文化財 鬼切丸 別名 髭切 ike撮影

御覧の通り、とても1000年以上前に作られた刀には見えず、美しくも妖しい輝きを放っています。今すぐにでも鬼の腕を切ったり、マグロの解体をしたりできそうな切れ味に見えます。この鬼切丸は9月30日まで京都北野天満宮で公開しているので、興味のある方は行ってみてください。あと、同じく源頼光が土蜘蛛の妖怪を倒したときに使ったという膝丸という兄弟刀も京都大覚寺にて同時期に公開されていますのでそちらもどうぞ。

ちなみにこの特別公開に来ていたのは歴女というのかほとんどが若い女性でした。橘やO-vilsの公演には中高年男性が群がり、伝説の刀や武具の展示には若い女性が集まるというのは京の怪異の一つかもしれません。

あと、安倍晴明や一条戻橋にまつわる怪奇譚も書こうかと思ったのですが、長くなってきたのでこの辺でやめときます。次回に続くかも。

O-vils ライブレポート

ちょっと遅ればせながら先日行われたO-vils初ライブのレポートです。(出演者の敬称略にします)

このO-vilsの初公演で、一度は生で見たかったちっぴ、ルイ、こまれの114期パーカストリオ、またもう二度と生では見れないかと思っていたゆい,ミドリ,あやかの115期中核メンバーが出ると聞いて、チケット争奪戦に参加したら意外と簡単にチケットが取れたので、4月3日京都fanJまで出かけてきました。京都fanJは京都最大のライブハウスで地下鉄烏丸線の終点,国際会館前駅から歩いて10分ほどのところにあります。最大600人くらいのキャパですが、この日は感染予防のためか80名ほどの席まで絞っていました。

会場はこんな感じで、A,B,Cの三列を取り払って下部ステージにしていました。ちなみに私はE4の席でなかなか良い席です。客層としては半分くらいは中高年男性で、某動画の大御所なんかも来てたようです。残りの多くが割と若年層の男性で、わずかにメンバーの友人知人かと思われる若い女性、父兄かと思われる着物姿の女性なんかも来ていました。

会場の運営はまだ慣れてないのか、開場時間になっても入場ができず、入場がスタートしてもたびたびチケットもぎりが中断して大行列になっていたりして今一つでした。O-vilsグッズなんかも販売していたようでしたが、こちらも販売面積が狭くて売り子も少なく、かなり行列しないと買えなさそうだったので、購入をあきらめました。ただ、横山先生の指示か目立つところに喫煙所があったり、ドリンクではビールなどアルコール類も売られていたりして、もう高校生バンドではないと感じさせるところもありました。

さて、橘テンションで始まったステージですが、基本的には橘の定期演奏会のマーチングステージを取り出して濃縮した感じで、間に116期DMのSUZUKAのバトントワリングショーや、歴代DMのビデオコメントなんかもはさんだりして、飽きさせないような構成になっていました。ホラっちゃ先輩も動画で出てきて、子育てが終わったら参加したいなどと言っていたのは何やら時の流れを感じさせます。

曲としては、もうよく覚えてないですがWinter games, Fireball, You can't stop the beat, Sing Sing Singなど114-116期でよくやっていた曲を演奏していたと思います。またアンコールはSing Sing Singで相当に盛り上がっていたのを覚えています。ちっぴは1曲だけドラムをたたいていたのですが実に楽しそうで、全身を使ってリズムを表現していて見とれてしまいました。ゆいやミドリもステップを踏みながら軽やかにリズムに乗って演奏していたし、あやかも以前と同じく、もしかしたらそれ以上にしなやかにダンスをしていてとても楽しいライブでした。

ただ、全体の音としては、トランペットが一本のみで、トロンボーンは参加なしだったのでやや厚みに欠ける気がしました。男性メンバーでエレキギターとエレキベースが入っていましたが、O-vilsは生の楽器の音が魅力なので、エレキギターはいらないんじゃないかと感じましたし、エレキベースは、ゆるモわ!のスーザ一本じゃさすがに低音が足らないので必要かもしれませんが、あんなに大きな音でスーザの音をかき消してしまったんじゃ台無しだと感じました。(男性メンバーの人、見てたらゴメン単なる嫉妬ですdevil)

O-vilsの今後ですが、これくらいの大人数のバンドだと全員がプロとしてやっていくのは相当大変そうで、よほどうまくやらないと継続が難しそうに思えます。クラウドファンディングで当面の活動資金は確保したようですが、どういう形であれ、京都橘の伝統を引き継ぎ発展させていくバンドとして頑張ってほしいですね。ちなみに私は次の京都テルサでの公演のチケットを予約しました。みなさんもよかったらチケットを買ってO-vilsの公演を見に行ってほしいところ。一見の価値はあると思います。

O-vilsの続報についてはファンクラブのメンバーであるともちちさんが今後教えてくれるかも。

京都橘観光案内 伏見大手筋

京都橘の動画は数あれど、この前田慶次郎さんの伏見大手筋商店街パレードの動画が最も人気があるのではないかと思います。2021年6月時点で3,435万回の再生回数を誇ります。私もこの動画は大好きで定期的に見ています。ローズパレード直前で114-116期のほぼ全員参加の大人数であり、安定したパフォーマンスを楽しめる動画となっています。この中からO-vilsに参加しているメンバーも多いので、今後もO-vilsで生でこのようなパフォーマンスが見られる可能性があるというのも楽しみなところです。

さて、この伏見大手筋通りは京都橘の地元で、京都橘中・高はこのパレードのスタート地点の鳥居の奥方向1kmくらいの距離にあります。大手筋は東西に走る通りなので、東方向に約1kmということになります。動画を見ると伏見大手筋商店街はよくある地方のアーケード商店街のように見えますが、この大手筋通りはただの地方の大通りではありません。

そもそも伏見は平安京以前より秦氏など渡来系氏族により開発されてきたところですが、今から400年ほど前に、かの太閤豊臣秀吉がこの地に指月伏見城を築き城下町を作ったことにより一躍当時の日本の政治・文化の中心地となります。この指月城はこのパレードのスタート地点の鳥居の南東方向(右斜め奥)500mくらいの地点に築かれたと考えられていて、大手筋通りはこの指月伏見城の大手門につづく道として誕生しました。この道は当時の日本のメインストリートともいえる道で、秀吉や当時その配下であった徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元などもおそらく通ったであろう道です。前田利家や上杉景勝に仕えていた傾奇者の前田慶次郎ももしかしたらこの道を通ったかもしれません。

指月伏見城は地震により倒壊しますが、すぐに北東方向1kmくらいのところ(鳥居の左手奥約1km)に位置を変えて木幡山伏見城として再建されます。この城も秀吉が亡くなった後、関ヶ原の戦いのときに焼け落ちますが、今度は支配権を握った徳川家康により同地に再建され、家康はこの伏見城で征夷大将軍の宣下を受けることになります。のち秀忠、家光まで伏見城で将軍宣下式を行っていて、江戸時代初期まではここ伏見が日本の中心地であったと考えていいでしょう。

さてここからは大手筋通り周辺の風物をご紹介します。

まずはパレードのスタート地点の大鳥居は御香宮(ごこうのみや)神社の鳥居です。この神社の創建の由緒は不明ですが、平安時代に境内から香りのよい水が湧き出して、その水を飲むと病が癒えたというところから時の清和天皇から御香宮の名を賜ったといいます。この水は今も湧き出ていますので、訪ねる機会があったら飲んでみるのもいいかもしれません。

御香宮神社の御香水 Wikipediaより

この神社は幕末には薩摩藩の本営となり、鳥羽・伏見の戦いでは大手筋通りを挟んで南側にあった伏見奉行所にこもる会津藩や新撰組の陣地を砲撃して陥落させたそうです。

御香宮神社の前には黒田節発祥の地の立て札があります。このブログの読者ならおそらく知っているとは思いますが、黒田節は黒田長政の家来が大杯の酒を飲みほして福島正則から槍をもらったという故事に基づく唄で、それはこの御香宮神社あたりであったことのようです。

御香宮神社の黒田節の立て札 Wikipediaより

パレードに従って、近鉄、京阪の線路を越えた次の角あたりは徳川家康が日本で最初に銀座をつくった地となります。ここが元祖銀座ということで、東京のザギンでシースーよりは、ここ大手筋で清酒を一杯のほうが格式が高いかもしれません。

そこを超えると、普通の商店街が続きますが、この大手筋通りの周辺には造り酒屋が20軒以上あり一帯が酒蔵地帯となっています。パレードの進行方向で銀座の角から3つ目の通りを左に入ると、月桂冠や黄桜など大手酒造メーカーの本社や工場があり、アンテナショップや酒造に関する記念館や資料館もあるので日本酒好きには面白いところだと思います。その次の角の細い道を左にまがったあたりには伏水酒蔵小路といって小さな居酒屋が密集している地帯があり、そこに行けばたいていの種類の伏見の酒が飲めます。ただし、京都市には最初の乾杯は日本酒でしなければならないという冗談のような条例もあるので、飲みすぎには注意です。

アーケードが途切れたところ、パレードの折り返し点を左に曲がれば、納屋町商店街を抜けて竜馬通り商店街です。この商店街の突き当りを右に曲がれば、当時坂本龍馬が京都の常宿にしていた寺田屋があります。ここである夜に竜馬は伏見奉行所の捕り方に襲われますが危うく難を逃れました。坂本龍馬もここを拠点に日本の将来を憂いながら大手筋通りを歩いたのではないかと思われます。

現在の寺田屋 Wikipediaより

しかし、坂本龍馬も、豊臣秀吉も、徳川家康も、薩摩藩士や新撰組も、のちの世にオレンジの軍団がダンスと演奏をしながら大手筋をパレードするとは思いもよらなかったのではないでしょうか。

ということで、次の投稿はケセラさんよろしく。

 

定期的な記事投稿と投稿者募集について

皆様、ikeです。

このところ記事の投稿が滞って、コメントをつける期限がすぎてしまって、コメントできなくなってしまうということが起こっていますので、定期的に記事を投稿できるような仕組みを作ろうと思います。

まずは現在記事を投稿する意思があることが確認できた、ike、ケセラさん、ともちちさんで、この順でおよそ一週間間隔で記事を投稿していくということにします。ただし何か急用があるとか、ちょっとネタが見つからないとかの場合はパスして、一週間以内に次の順の人にバトンを渡すということも可能とします。まずは今週からこの制度をスタートしますのでみなさまよろしく。次はikeが何か記事を投稿します。

そして、三人だけだとネタが尽きてしまったりしまうことも考えられますので、この投稿者グループに新規に参加して投降する方も併せて募集します。資格は京都橘に関連する記事を定期的にこのブログに投稿する意思のあるかたです。投稿者グループは任意の時点で脱退することも可能で、脱退した人でも再参加することも可能です。お申し込みはこのブログのお問い合わせページからお願いします。その際、メールアドレスとニックネーム、簡単なプロファイルをお知らせください。折り返し投稿者アカウントと投稿者グループでの順番をお知らせします。皆様奮ってご応募ください。